ポイントカードありますか?に戸惑った帰り道、なぜか疲れてしまった理由

今朝の部屋は、暖房をつけるほどでもないけど、素足だと床の冷たさがじわっと残る感じだった。カーテンの隙間から入ってくる光が、冬らしく白くて、コーヒーを淹れる湯気だけがやけに“生きてる”みたいに見えた。
仕事に行く準備をしながら、いつものようにスマホを手に取って、通知を確認して、意味もなく天気を見て、また置く。朝って、意志がまだ眠ってるから、行動が全部“慣性”で動いてる気がする。
今日は特別な予定があるわけじゃなかった。ただ、帰りにスーパーで牛乳と冷凍うどんを買う。そんな小さな予定だけで、なんとか一日が形になる気がしていた。
「わたし、いま何を守ろうとしてるんだろう」
仕事帰り、スーパーに寄った。疲れていると、選ぶものが極端になる。栄養とか彩りとか、そういう立派な話は一回脇に置いて、とりあえず「明日の自分が困らない」を最優先にする。
カゴに放り込んだのは、牛乳、冷凍うどん、卵、納豆。あと、なぜか“今日がんばった証拠”みたいに小さなプリン。セルフレジもあったけど、ぼーっとしてたら普通のレジに並んでしまって、列の人たちの背中を眺めながら、自分の呼吸だけ少し浅いのに気づいた。
順番が来て、店員さんが淡々とバーコードを通す。あの音って、疲れてる日に聞くと少しだけ安心する。生活が回ってる音、みたいな。
そして、例の質問が来た。
「ポイントカード、ありますか?」
——この瞬間、わたしの頭の中で、なぜか“社会性の小テスト”が始まる。
ない。持ってない。そもそも、このスーパーのアプリすら入れてない。なのに、口から出たのは素直な「ありません」じゃなくて、
「あ、えっと……(探すふり)」
だった。
スマホを手に取って、画面をつけて、指で適当にスワイプして、存在しないポイントカードを“いま頑張って探しています”という顔を作る。後ろの人の気配が、背中に刺さるように感じる。実際は誰も刺してないのに、自分の中の“刺さってる想像”だけが勝手に育つ。
しかも結局、見つからないふりをして、ちょっと困った顔をして、最後に言う。
「すみません、今日は…大丈夫です」
……何この茶番。って、自分で自分に思った。
誰にも言わない本音は、ほんの数秒の「演技」だった
ポイントが欲しいわけじゃない。得したいわけでもない。ただ、店員さんの問いかけに対して「ありません」と即答するのが、なんとなく冷たい人みたいで、なんとなく“ちゃんとしてない人”みたいで。
本当は単純に、言い切るのがこわかったんだと思う。
「持ってません」って言うと、そこで会話が終わる。終わるのがこわいって、変な話だけど。終わる=自分が一瞬“分類される”感じがして、苦手だったのかもしれない。「あ、この人はポイントカード持ってない側の人なんだ」って、誰もそんなこと思わないのに。
そのとき心の中で浮かんだ、誰にも言わなかった本音は、もっと情けない。
“うまく受け答えできる大人に見られたい。レジの前で手際よく、正解っぽく振る舞いたい。”
たった数秒のやりとりなのに、わたしは“正解の人”のふりをしたくなる。で、失敗する。結果、いちばん不格好になる。
わかる…こういう「どうでもいい場面」で、なぜか自分だけ慌てることってある。
レジ袋を受け取って、会計を終えて、店を出てからも、なぜかその場面だけが頭に残った。プリンより鮮明に。
帰り道の冷たい空気のなかで、歩きながら考えた。
あれは恥ずかしさというより、“違和感”だった。
自分が、自分の言葉をすぐ出せなかった違和感。
ないものを、あるふりした違和感。
そして、そんな小さなことにぐったりしてる違和感。
部屋に着いて、上着を脱いで、買ったものを冷蔵庫に入れた。プリンだけは、なぜか丁寧に置いた。丁寧に置くことで今日が救われるわけでもないのに。
それでも、ひとつだけ小さな変化があった。
次に「ポイントカードありますか?」って聞かれたら、ちゃんと「ありません」って言ってみようと思った。
“気持ちよく言う”とかじゃなくて、普通の声で、普通の顔で。
それができたら、たぶんポイントが貯まるより、わたしの中の無駄な疲れがちょっと減る。
でも同時に思う。
なんでこんなことで疲れるんだろう、って。
誰にも責められてないのに、自分の中の“採点”だけが止まらない。
今夜、プリンの蓋を開けながら、ふと自分に聞いてみた。
わたしは、あの数秒でいったい何を守ろうとしてたんだろう。
そしてあなたは、今日どんな“小さな演技”をしてしまいましたか。
