最近なんとなく疲れやすいのは、年齢じゃなく心の置き場所が変わったせいかもしれない

朝、駅までの道がいつもより少しだけ乾いていて、風が冷たいのに日差しだけがやけに明るかった。コンビニの前の自転車が倒れていて、誰かが起こしたのか、起こしかけで諦めたのか、半端な角度のまま止まっている。私はその横を通り過ぎながら「こういうの、直したほうがいいのかな」と一瞬だけ思って、でも結局そのまま歩いた。たった数秒の迷い。それだけで、なぜか胸の奥がざらっとする。
最近、肌とか体とか、「変わったな」と思う瞬間は確かに増えた。乾燥しやすいとか、寝不足が顔に出るとか、甘いものを食べた翌日のむくみとか。鏡に映る自分を、昔よりも少しだけ距離を置いて眺める感じ。だけど、今日書きたいのは、そういう分かりやすい変化じゃない。むしろ、誰にも説明できないまま、ひとりで抱えていた“うまくいかなかったこと”の方だ。
その日は、夜の予定が珍しく二つ重なっていた。仕事終わりに美容院、そのあとに友だちと軽くごはん。どっちも楽しみだったはずなのに、夕方くらいから、心が細くなる感覚がずっとあった。忙しい日は、体より先に気持ちが疲れる。そういう日がある。
美容院では、担当さんがいつも通り明るく話してくれて、私はいつも通り笑って相づちを打っていた。鏡の中の私は、ちゃんとしている。髪を整えてもらうために来た“自分磨きの人”としてそこに座っている。だけど、会話の途中で、ふと「今日、ほんとは誰とも話したくないかもしれない」と思ってしまった。
その瞬間がいちばん苦しかった。誰とも話したくないなら、来なければよかったのに。来たのは自分なのに。しかも私は、たぶん、話したい気持ちもある。矛盾している。矛盾している自分を、鏡の中で見ているのが居心地悪かった。

そして、その矛盾は、髪がきれいになるほど大きくなった。トリートメントの香りが甘くて、シャンプー台の首が少しだけ痛くて、仕上げのアイロンで髪がさらさらになっていく。外側は整っていくのに、内側は整う気配がない。私は笑顔のまま、内側だけが、遅れて泣きそうになっていた。
そのあと、友だちと合流した。お店はにぎやかで、私たちのテーブルの横を、仕事帰りの人たちがどんどん通り過ぎていく。熱い湯気の立つ料理が運ばれてきて、私たちは乾杯して、近況を話した。普通に楽しい。ほんとに。だけど、会話の中で、ふとした拍子に「最近どう?」って聞かれた時、私はうまく答えられなかった。
「まあまあかな」と言った。言いながら、胸の中で小さな引っかかりが生まれた。まあまあって、便利だ。まあまあって言うと、何も説明しなくて済む。相手も深追いしないし、自分も深掘りしなくて済む。だけど本当は、まあまあなんてひと言で包めるほど、毎日は単純じゃない。
うまくいかなかったこと、って、派手じゃない。むしろ、誰にも気づかれないような小ささで日常に混ざっている。たとえば、何気ない一言が刺さって、夜に思い出してしまうとか。LINEの返信を迷っているうちに時間が経って、結局返せないまま既読が沈んでいくとか。買ったはずの生理用品をストック棚から見つけられなくて、コンビニに走るとか。そういう、世界が終わるほどじゃないけれど、じわじわ自尊心を削る小さな失敗たち。
その日の私の失敗は、もう少しあいまいだった。「楽しいのに、楽しめていないみたいな顔をしてしまうこと」。そういう失敗。友だちの話を聞きながら、私は何度か、気持ちが違う方向へ流れていくのを感じた。嫉妬とかじゃない。羨ましいとも違う。もっと、薄い霧みたいな違和感。
友だちは、仕事で新しい役割を任されたらしく、最初は不安だったけれど少しずつ慣れてきた、と言った。私は「すごいね」と言って、ちゃんと拍手する気持ちもあった。なのに、その「すごいね」の後ろで、私の中の別の声が小さく囁く。「私は、何を増やしてきたんだろう」。それがモヤっとした瞬間だった。
たぶん私は、増やすことが正しいと思ってきた。経験、知識、貯金、友だち、スキル、話のネタ。増やしていけば安心できると思っていた。30代になってからも、なんとなくその癖は残っていて、気づくと“増やせていない自分”に焦っている。だから友だちの話を聞いた瞬間に、別の声が出てしまったのかもしれない。
でも、そのモヤっとは、もう少し丁寧に見たら、焦りだけじゃなかった。友だちが変化していく姿を見て、私は嬉しい。だけど同時に、自分の変化が見えないことが怖い。見えないまま、気づいたら取り残されているんじゃないかって。たぶんそういう、幼い怖さ。
私がその怖さを誰にも言わなかったのは、言ったところでどうにもならない気がしたからだと思う。「取り残されそうで怖い」なんて言ったら、何かを頑張らなきゃいけないみたいだし、頑張っても怖さが消える保証はないし。何より、そんなことを言う自分が“面倒くさい人”に見えそうで嫌だった。
お店を出て、駅まで歩く道で、私は急に黙った。友だちは何か話していたけれど、うまく耳に入ってこなかった。信号待ちの時間が長く感じて、冬の空気が頬に刺さった。私は自分のコートのポケットに手を突っ込んで、爪の先で小さく布をつまんだ。何もしていないのに、何かをしているふりをしたかった。
心が変わった、と言い切れないけど

その時、ふと、30代になってからの“精神的な変化”について考えた。肌や体の変化みたいに分かりやすくはないけれど、確かに、心の中にも変化がある。今日の私のように、モヤっとしたものをすぐに言葉にできないこともある。でも、昔の私なら、そのモヤっとを「自分が悪い」「私がダメだから」と短絡的に結論づけてしまっていた気がする。
今の私は、少しだけ待てる。モヤっとを“そのまま置いておく”ことができる。すぐに答えを出して、急いで自分を裁くんじゃなくて、「これはなんだろう」と問いかける余白が、ほんの少し生まれている。これって、地味だけど、ものすごく大きい変化なのかもしれない。
もちろん、置いておくのはラクじゃない。むしろ、答えがないまま抱えるのは、落ち着かない。夜、ベッドに入ってからも、会話の一言一言が頭の中で再生される。友だちの「最近どう?」の声、自分の「まあまあかな」の返し。なんで“まあまあ”なんて言ったんだろう。もっと正直に言えばよかったのに。でも、正直って、どこからが正直なんだろう。言葉にした瞬間に、別の嘘が混ざることもある。
帰宅して、メイクを落として、洗面台の前に立った。髪はきれいで、肌は少しつっぱっていて、目の下にうっすら影があった。私は、鏡の中の自分に「今日もおつかれ」と言いたかった。でも声にはしなかった。声にすると、急に泣きそうだったから。
代わりに、いつもより丁寧に化粧水をつけた。手のひらで押さえるように。すると、頬の冷たさが少しずつ戻ってくる。肌の手触りって、正直だ。乾いていたら乾いているし、乱れていたら乱れている。心も、本当はそうなのかもしれない。ただ、肌みたいに触って確かめられないから、見ないふりができてしまう。
「精神的にいい変化がある」と思いたいのは、たぶん、救いが欲しいからだ。肌や体の変化は、時々残酷で、放っておくと勝手に進む。だからせめて、心の中にだけは、何か柔らかい成長があってほしい。時間が、ただ奪うだけじゃなく、何かを与えてくれる感じがほしい。
今日の出来事は、うまくいかなかった。私は友だちとの時間を、100%の自分で楽しめなかった。美容院でも、笑顔の奥で疲れていた。帰り道に黙ってしまった。たぶん友だちは「大丈夫?」って思ったかもしれないし、思ってないかもしれない。どちらにしても、私は自分の“うまくいかなさ”をちゃんと見てしまった。
でも、その“見てしまう”こと自体が、以前の私とは違う。以前の私は、見ないふりをして、家に帰ってからもスキマを埋めるようにスマホを見て、寝落ちして、翌朝には「まあいっか」と上書きしていた。今は、上書きする前に、一度だけ立ち止まる。立ち止まって、「このモヤっとはどこから来た?」と探る。探っても答えは出ない。でも、探ることを自分に許している。
それって、大人になったってことなのかな。大人って、強いことじゃなくて、弱さを急いで隠さないことなのかもしれない。あるいは、ただ疲れやすくなっただけで、考える時間が増えたのかもしれない。どっちでもいい。どっちでもいいと思えることが、もしかしたら“いい変化”なのかもしれない。
余白ができた分、揺れも見えてしまう
寝る前、部屋の電気を消して、カーテンの隙間から街灯の光が床に薄く落ちていた。静かな部屋で、自分の呼吸だけが聞こえる。私は「明日はもっと上手に笑えるかな」と思って、すぐに「上手に笑う必要ってある?」とも思った。答えは出ないまま、布団の中で目を閉じた。
変化は、わかりやすい形で来ない。肌のハリみたいに数値化できない。けれど、今日みたいな夜に、答えを出し切らないまま眠れる自分がいるなら、それはたぶん、ほんの少しの前進なんだと思う。……そう思いたいだけかもしれないけど。
そして、あの朝の自転車のことを、今さら思い出している。起こしてあげればよかったのか、起こさなくてよかったのか。正解は分からない。ただ、あの時のざらっとした感覚だけが、まだ手のひらに残っている。
たぶん私の30代は、派手な“達成”よりも、こういう微妙な感情の手触りを覚えていく時間なのだと思う。言えなかったひと言、笑えなかった一瞬、羨ましいとも違う胸のざわつき。そういうものを「なかったこと」にしないで、机の端にそっと置いておく。置いておけば、いつか形が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。どちらにしても、置いておけるだけのスペースが、少しずつ自分の中にできてきた気がする。
それでも明日の私は、また同じように“まあまあ”と言ってしまうかもしれない。起こせる自転車を起こさずに通り過ぎるかもしれない。けれど、その時に少しだけ立ち止まって、自分の心の音を聞けたなら、今日は今日で悪くなかった、と言えるのかな。言い切れないまま、ただそう思っている。





