夜の十一時すぎ、玄関を開けた瞬間、朝脱いだニットが椅子の背にもたれたままなのが見えて、床には昨日の通販の箱、テーブルの端には半分だけ飲んだカフェラテのカップ、洗っていないマグの底に少し固まったミルクの跡まであって、部屋って、帰ってきた人間にずいぶん正直だなと思った。
窓は閉めているのに、どこか乾いたほこりっぽい匂いがして、冷蔵庫の低い音だけがやけに大きい。
今日の私はたぶん、ちゃんと疲れていたんだと思う。
でも、疲れていることを認めるより先に、散らかった部屋を見て、ああ、またか、と自分に小さくがっかりする。
仕事が立て込んでいたとか、返信しなきゃいけないLINEが何件か残っているとか、そういう言い訳はいくらでもあるのに、床に落ちている靴下は、そういう事情をぜんぶ知らない顔でそこにいる。
部屋が散らかる日は、心も忙しい。
たぶん、順番は逆じゃない。
朝からずっと、何かに追いつけていない感じがあった。
会社でパソコンを開いた瞬間から、返事を保留にしたチャット、午後にずれ込んだ打ち合わせ、つい見てしまったSNSで流れてきた、きれいな部屋できれいな朝ごはんを食べている知らない誰かの投稿。
ああいうのを見るたびに、すごいな、で終われたらいいのに、私はわりとすぐに、なんで私はこんなに生活が下手なんだろう、みたいな方向へ勝手に話を大きくしてしまう。
別に競っているわけでもないのに、一人で勝手に負けた気分になるの、あれは本当に何なんだろう。
しかもそのあと、自分だって朝はコンビニのおにぎりだったくせに、夜になって部屋が散らかっているのを見て、ほらね、となぜか証拠みたいに扱ってしまう。
自分への取り調べが雑すぎる。
少し前に読んだ研究では、家を「散らかっている」「落ち着かない」と感じている人ほど、とくに女性ではストレスの指標になるコルチゾールの出方に違いが見られたらしい。家が休まる場所というより、終わっていないものが残っている場所として身体に映ってしまうことがあるという。
また、家庭内の雑然さや騒がしさを意図的につくった実験では、自分ではそこまで嫌な気分だと自覚していなくても、身体のほうはしっかり反応していたという報告もあった。
頭では大したことないと思っていても、視界の端にずっと物があるだけで、たぶん身体は、休憩中のふりをしながら勤務を続けている。
去年の秋には、視界にある“ごちゃつき”そのものが脳の情報処理の流れを変える、という研究まで出ていて、見えているものの多さって、思ったより静かに効いてくるのかもしれない。
だからといって、片づければ全部うまくいく、みたいな話にしたいわけじゃない。
そういうきれいな因果関係は、私の生活にはあまり似合わない。
部屋が散らかっているから心が荒れる日もあるし、心に余白がないから、ペットボトル一本捨てることすら後回しになる日もある。
どっちが先かなんて、たぶん毎回ちがう。
ただ、散らかった部屋の真ん中に立っていると、自分が今なにに疲れているのかだけは、妙にわかることがある。
あ、今日の私は、忙しかったんじゃなくて、気を張りすぎていたんだ、とか。
誰にも責められていないのに、ずっと何かを落とさないように両手で抱えていたみたいな、あの感じ。
帰宅してバッグを床に置いたまま動けないとき、ほんとうは片づける気力がないというより、もうこれ以上「ちゃんとする役」をやりたくないだけなのかもしれない。
たまに、来客の予定がある前日だけ異様に片づけが進むことがあって、あれも少し恥ずかしい。
自分のためには動けないのに、人の目が入るかもしれないとなると、急に床の髪の毛まで気になる。
そのたびに、私は自分の生活を、自分の目ではちゃんと肯定できていないのかもしれない、と思ってしまう。
でも、そのことすら、誰にも言わない。
言うほどのことじゃない顔をして、クイックルワイパーをかけて、いらないレシートを捨てて、何事もなかったみたいにお風呂に入る。
たぶん同じようなことをしている人、少なくないんじゃないかと思う。
洗濯物をたたまずに椅子に積んでおいて、その前だけ避けて歩く夜とか。
郵便物を開けるのがなんとなく怖くて、テーブルの端に寄せ続ける日とか。
忙しいという言葉に隠しているけれど、あれは不安とか、面倒とか、少しの諦めとか、そういう名前のほうが近い気もする。
部屋は、気持ちを映す鏡です、みたいな言い方をされると少し身構える。
そんなにわかりやすいなら苦労しないし、ちゃんとして見える部屋にいたって、全然ちゃんとしていない夜もある。
それでも、脱ぎっぱなしの部屋着や読みかけの本や、充電が切れたままのモバイルバッテリーが、今日の私の輪郭を勝手に並べている感じはある。
整っていないのに、妙に正確。
見たくないのに、ちょっと当たっている。
これって、私だけなんだろうか。
帰ってきて最初に電気をつけたとき、部屋の散らかり具合より、自分の内側のざわつきのほうに先に気づいてしまう感じ。
片づけたいわけでも、放っておきたいわけでもなくて、ただ少しだけ、何も判断したくない夜。
大人になると、散らかった部屋を誰も叱らないかわりに、自分が自分を細かく採点するようになる。
あれは地味に疲れる。
床に置いた紙袋ひとつで、生活力とか自己管理とか、関係ないはずのところまで点数を引いてしまう。
そこまでしなくてもいいはずなのに。
さっき、机の上の空いたグラスだけ洗った。
それ以外は、まだそのまま残っている。
今夜はそれでいいことにした、というより、まだそれ以上の言葉が見つからない。
そういえば、ベランダの外は思ったより風がなかった。





