寝る前にスマホを置いたあと、部屋が急に“私の顔”をしてくる夜
スマホを置いた瞬間、なぜか人生が静かに追いかけてくる
寝る前のスマホをやめたほうがいい。
そんなことは、もう十分わかっているのです。
目が疲れるとか、睡眠の質が下がるとか、朝起きたときに顔がむくむとか、そういう話は何度も見てきました。
私だって、ちゃんと大人です。
「今日は早めにスマホを置こう」と思う夜くらいあります。
お風呂から上がって、スキンケアをして、髪を乾かして、枕元にスマホを置きます。
そこで私は、なぜか少しだけ偉くなった気がするのです。
今日の私は違う。
寝る前にSNSを見ない女です。
通知に振り回されない女です。
ブルーライトより自分の人生を優先する女です。
そう思って、スマホの画面を伏せます。
すると、急に部屋が静かになります。
怖いくらい静かです。
さっきまで、あんなに「早く寝たい」と思っていたのに、いざ何も見るものがなくなると、布団の中で目がぱっちり開きます。
そして、なぜか考えなくていいことばかり考え始めます。
あのLINE、ちょっと冷たかったかな。
明日の服、なんか全部しっくりこない気がする。
最後にちゃんと好きな人に好きって思われたの、いつだっけ。
冷蔵庫の中の豆腐、まだ大丈夫かな。
仕事で笑いすぎたけど、あれ本当は疲れていたな。
スマホを見ていたときには流れていった感情が、スマホを置いた瞬間に、列を作って戻ってくるのです。
まるで閉店後のレジ締めみたいに、今日の私の心が一円単位で合っているか確認される感じです。
これが、地味にしんどいのです。
誰も記事にしないけれど、寝る前にスマホを置くことの難しさは、誘惑に負けることではなく、静かになった自分と急に二人きりになることなのかもしれません。
今日は2026年4月26日です。
七十二候では「霜止出苗」、霜がやみ、苗がすくすく育ち始めるころです。
外の世界では、ちゃんと春が進んでいます。
なのに私の部屋では、布団の中でひとり、昨日のモヤモヤと今日の反省と明日の不安が、まだ芽を出す場所を探しているのです。
“意識高い夜”を目指したのに、なぜか少し寂しくなる
寝る前にスマホをやめようとすると、たいてい代わりに本を読もうとします。
私も何度もやりました。
枕元にエッセイを置いたり、積読していた小説を開いたり、ちょっとおしゃれな栞を挟んだりしました。
でも、正直に言います。
読めない日があります。
文字が頭に入ってこないのです。
本を開いているのに、目だけが文章の上を歩いて、心は全然ついてきません。
ページをめくる指だけが、ちゃんとした女のふりをしています。
しかも、スマホをやめた夜ほど、なぜか寂しさが濃くなるのです。
SNSを見ているときは、人の投稿に少し疲れます。
友達の旅行。
誰かの婚約。
誰かの新居。
誰かの丁寧な朝ごはん。
見なければいいのに見て、見たら見たで少し落ち込む。
なのに、いざ見ないと決めると、今度は世界から私だけ切り離されたような気持ちになります。
本当にわがままです。
つながっていたら疲れるのに、離れると寂しい。
見たら比べるのに、見ないと置いていかれる気がする。
これが令和の夜のややこしさだと思います。
誰かと話したいわけではありません。
でも、誰ともつながっていないことを確認するのは少し怖い。
だから私たちは、寝る前のスマホに戻ってしまうのかもしれません。
眠れないから見るのではなく、静かすぎる自分の部屋をごまかすために見るのです。
その証拠に、見ている内容はそんなに大事ではありません。
おすすめに流れてきた犬の動画。
知らない人の購入品紹介。
なぜか最後まで見てしまうメイクの比較。
全然興味がないはずの冷凍食品レビュー。
それでも、画面が動いているだけで安心する夜があります。
誰かの声がしているだけで、自分の心の音が少し小さくなるのです。
本当は、スマホ依存というより、静けさが苦手なのかもしれません。
私たちは忙しい毎日の中で、静かな時間を欲しがっているようで、いざ静かになると、自分の本音が聞こえすぎて困るのです。
最後に気づいた、スマホより手放せなかったもの
ある夜、私は本気で寝る前スマホ断ちをしようと思いました。
スマホをリビングに置いて、寝室には持ち込まないことにしたのです。
これならもう勝ちです。
物理的に触れません。
私はベッドに入りました。
部屋は静かでした。
窓の外では、少し湿った春の風がカーテンを揺らしていました。
4月の終わりの夜は、冬ほど冷たくなく、夏ほど自由でもなく、どこか中途半端です。
その中途半端さが、今の私に少し似ていました。
ちゃんとしたい。
でも、ちゃんとしきれない。
変わりたい。
でも、変わる前の自分もなんだか捨てきれない。
私は目を閉じました。
けれど、やっぱり眠れませんでした。
スマホがないのに、頭の中はうるさいままです。
むしろ、スマホがないぶん、考えごとの音量が上がっていました。
あれ。
もしかして。
私はここで、少しだけショックなことに気づきました。
私が手放せなかったのは、スマホではなかったのです。
「今日の自分を、何かでごまかす時間」でした。
スマホはただの道具でした。
本でも、動画でも、SNSでも、通販サイトでも、何でもよかったのです。
私は一日の終わりに、今日の自分とまっすぐ向き合うのが少し怖かったのです。
誰かに嫌われたかもしれない自分。
仕事でうまく返せなかった自分。
婚活アプリを開く気力がなくなった自分。
部屋が片づいていない自分。
ちゃんとした大人のふりをして、帰宅後はコンビニ袋をそのまま床に置いた自分。
そういう自分を見ないために、私は画面を見ていたのです。
そして、もっとびっくりしたのは、その夜、私はスマホを取りに行かなかったことです。
代わりに、枕元にあったメモ帳を開きました。
そこに一言だけ書きました。
「今日は、ちゃんと疲れていました」
それだけです。
反省でも、目標でも、感謝でもありません。
ただ、疲れていた自分を認めただけです。
すると、不思議なくらい、部屋の静けさが怖くなくなりました。
スマホを置くために必要だったのは、意志の強さではなかったのかもしれません。
自分を責めないための、小さな言葉だったのかもしれません。
寝る前にスマホをやめる。
それは、意識高い習慣ではなく、自分に「今日も大丈夫でした」と言ってあげる練習なのだと思います。
◆>>ピル特化の遠隔診療サービス 「エニピル」 低用量ピル処方そして翌朝。
私はリビングに置いたスマホを見に行きました。
通知は、たった一件でした。
通販サイトからの「カートに商品が残っています」というお知らせです。
私は思わず笑ってしまいました。
昨日の夜、私が世界から切り離されたように感じていた間も、世界は私のことを忘れていたわけではありませんでした。
ただ、私を一番しつこく待っていたのは、友達でも、恋でも、仕事でもなく、買うか迷っていた春用パジャマだったのです。
少し拍子抜けしました。
でも、そのパジャマを見て思いました。
スマホを置く夜に必要なのは、立派な自分になることではなく、明日の自分が少し気持ちよく眠れるものを選ぶことなのかもしれません。
だから私は、今夜もスマホを置けるかどうかはわかりません。
たぶん、見てしまう日もあります。
でも、もし画面を伏せられたら、その日は自分にこう言いたいです。
「えらい」ではなく、
「戻ってきたね」です。
今日の私が、私のところに戻ってくる。
寝る前の静かな時間は、もしかしたら寂しい時間ではなく、ずっと外向きに頑張っていた自分を迎えに行く時間なのかもしれません。
◆>>歯石取り、着色落し、口臭ケアなど目的に応じた施術を2,500円からというお手頃な料金で提供 スターホワイトニングクリーニング




