夜九時四十分。私は、夕食に使った箸を洗った手で、おやつ用の小皿を出していた。
台所には、さっき温めたしょうゆ味のおかずの匂いが、まだ少し残っている。
食事は終わった。洗い物も終わりかけている。それなのに、私の中の「今日」が、どうにも終わらない。
冷蔵庫を開けたところで、白い棚の明かりに照らされながら、ふと思った。
私は今、おなかに入れるものを探しているのか、それとも一日を終える合図を探しているのか。
取り出した小皿を、いったん調理台に置く。薄い陶器が、こつんと鳴った。
「夕食を飲み物にするなんて、私には無理」
少し前まで、そう思っていた。食べる楽しみを残したまま痩せたいし、できれば努力の気配も薄めてほしい。ついでに洗い物も少なければ、なお助かる。
そんな都合のいい私が、美穀菜を買った。
急に我慢強くなったわけではない。むしろ、自分の我慢強さをあてにして計画を立てるのは、そろそろやめようと思ったからだった。
食べ終わっても、私の夜は終わらなかった

小皿を一枚、余分に出した
一人暮らしの夕食には、誰にも見られない気楽さがある。
おかずを保存容器のまま食べても、昨日と同じ献立でも、誰からも何も言われない。作家を目指して原稿を書いていると、言葉が出てこないまま時間だけが過ぎて、夕方になってようやく冷蔵庫の中を思い出す日もある。
ちゃんと料理をした日は、それだけで少し胸を張れる。けれど、食事が済んだあとに困ることがあった。
「今日はこれで、おしまい」と、うまく区切れないのだ。
仕事の手応えが薄かった日。やろうと思っていたことが半分も進まなかった日。誰かと話したかったのに、宅配便の受け取りでしか声を出さなかった日。
そういう日の私は、夕食のあとにも、何か小さな楽しみを足したくなる。
もちろん、おやつの時間そのものは好きだ。おいしいものをゆっくり味わう時間まで、悪者にしたいわけではない。
ただ、その夜は違った。何を食べたいかも決まっていないのに、小皿だけが先に出ていた。
おなかの具合を確かめるより先に、いつもの手順を始めていたことが、少し恥ずかしかった。
私の台所には、閉店後も注文を受け付ける小さな食堂がある。店主も客も私なので、営業時間の相談がまとまらない。
痩せたい気持ちは、ちゃんとある。
お気に入りの服を着たとき、座る前にウエストの様子をうかがわずに済んだらうれしい。写真を撮るときも、体の角度ばかり研究せず、普通に笑っていたい。
でも、夕食まで「達成しなければいけない課題」にしたくなかった。
昼間にうまくできなかったことがあるだけで落ち込むのに、夜まで自分に不合格を出すのは、さすがにしんどい。
きれいになりたい。でも、一日の最後くらい甘やかされたい。
私が引っかかっていたのは、この二つの気持ちだった。
閉店後の椅子を、今も覚えている
私は、飲食業界と美容業界で約十年間働いてきた。
飲食の現場にいたころ、お客様が帰ったあとの店には、昼間とは違う音がしていた。食器の触れ合う音がよく響いて、冷蔵庫の低いうなりが、急にはっきり聞こえる。
立ちっぱなしだった足を休め、ようやく椅子に座る。肩の力が抜けるのは、おいしいものを口にした瞬間より、その少し前だったように思う。
もう急がなくていい。誰かの呼びかけに、すぐ返事をしなくてもいい。
あの時間が好きだった。
お客様にとっても、食事は栄養や空腹だけの話ではなかったはずだ。連れの方と笑っていたり、ひとりで静かにお茶を飲んでいたり。お皿が空になってから、表情がほどける方もいた。
だから私は、夕食の代わりに飲み物を、と聞くと少し身構えた。
湯気の立つお椀も、箸でおかずを選ぶ時間もなくなったら、今日頑張った私を、どこに座らせたらいいのだろう。
口では「おなかがすきそう」と言っていたけれど、本当は、一息つける時間までなくなるのが嫌だったのかもしれない。
ところが今の私は、ごはんを食べながらスマートフォンを見て、食べ終わったらすぐ流しに立っている。
大切にしたいはずの夕食を、ずいぶんせわしなく済ませていた。
小皿を出したあの夜もそうだ。椅子にゆっくり座り直す前に、次に口へ入れるものを探していた。
私は冷蔵庫を閉め、スマートフォンを持って食卓へ戻った。
画面には、途中まで書いて止まった原稿が残っていた。うまく書けなかった一文を眺めると、それだけでまた、自分が何もできていないような気がする。
そこでようやく、夕食の内容だけを変えても、この感じは全部は片づかないだろうと思えた。
食べ方を考えたい。けれど、その前に、今日はここまでやったと認めて座る時間も必要だった。
接客の仕事で、人を気持ちよく迎えるには自分の心にも余裕がいる、と何度も感じた。自分の暮らしになると、そのことをつい忘れる。
私は私を、閉店間際の忙しいお客様みたいに扱っていたのかもしれない。
買う前から、続ける自信を求めすぎた
美穀菜を見直したのは、そのあとだった。
最初は「夕食がこれだけになる」という一点で、気持ちが止まっていた。でも、その晩は、まずどんな商品なのかを落ち着いて読んでみた。
ブルックスの美穀菜は、一食の置き換えによるカロリーコントロールを想定した粉末食品。通常の美穀菜には、金ごまきなこ、黒ごま、抹茶、あずき、コーヒー、ココアの六つの味がある。水で溶かした場合は一食約59kcalと案内されている。出典:ブルックス公式
私は「あずき」の文字のところで、指を止めた。
まだ飲んでいないから、おいしいとも、好きな味だとも言えない。ただ、見慣れた味の名前が並んでいるだけで、少し身近に感じた。
一方で、約59kcalという数字には、思わず期待しそうになった。
でも、それは水で作ったときの話。牛乳や豆乳を使えば、その分のエネルギーも加わる。いつもの食事に足して飲むことと、食事の一部を置き換えることも、同じではない。
飲めば自動的に痩せる、と受け取るのはやめておこう。自分の期待を、自分で一度座らせた。
価格も見た。確認した公式ページでは、通常の三十袋入りが4,860円。トライアルは通常品十二袋にPROTEINカフェオレ味一袋が付いて980円で、一家族一セット一回限りという案内だった。トライアルだけの注文は、ゆうパケットで送料無料とある。価格やセット内容、購入条件は変わることがあるため、注文時の表示を確認したい。出典:ブルックス公式・商品と購入条件
最初に通常品の金額を見たときは、正直、少し迷った。
払えないというより、飲みきれずにしまい込んだ場合の自分を想像したのだ。
台所の棚を開けるたび、「ああ、これも続かなかった」と思うのは嫌だった。買ったものの値段に加えて、気まずさまで残るのが、私にはつらい。
だから少量から確かめられる入口には、気持ちが動いた。
買う前から、一か月後も続けている自分を保証しなくていい。味や生活との相性を確かめてから、次を考えられる。その順番なら、私にも選べそうだった。
ここで私は、また少し張り切った。
ノートに「夕食を置き換える」と書き、その下へ、曜日ごとの予定をびっしり並べたのだ。
数分前まで迷っていた人が、急に自分専属の厳しい管理者になっている。
しかも、友人と夕食を食べる約束の日にまで丸を付けていた。私の計画表は、私の予定を聞いていなかった。
その丸を消すとき、少し笑った。
毎日必ず実行できることを、購入の条件にしなくてもいい。約束のある日は、一緒に食事を楽しみたい。よく動いておなかがすいた日に、表を守るためだけに食事を我慢したくもない。
ノートの予定を消して、「合うかどうか、確かめる」と書き直した。
それから購入ボタンを押した。
これで痩せると確信したのではなく、試して判断するくらいなら、今の私にもできると思えた。
空っぽの小皿を、そのまま戻す夜
買ったあとも、疑いが全部消えたわけではない。
温かいごはんを食べたい日もあるだろうし、噛むことを含めて夕食を楽しみたい私に、飲み物だけでは物足りない日もあると思う。
六種類から選べることと、六種類とも好みに合うことは別だ。腹持ちについても、ほかの人の感想をそのまま自分の予定にはできない。
今の段階で「これなら続く」と言い切ったら、それは商品の感想ではなく、買った直後の私の勢いになってしまう。
作り方も先に確認した。公式では、一袋を常温または冷たい水や牛乳など約200mlに溶かす方法が案内されている。時間がたつととろみがつくため、食感の好みも確かめたいところだ。シェーカーで作るときは、温かい飲み物を使わない。出典:ブルックス公式・お召し上がり方
そして、美穀菜という名前の安心感だけで、必要な栄養が何もかもそろうと決めつけないようにしたい。
私が考えたいのは、一日の食事全体のことだ。ほかの食事で何を食べたか、空腹が強くないか、疲れたまま無理をしていないか。数字を小さくすることだけが目的になったら、立ち止まりたい。
夕食を飲み物に変えることが大きなストレスになる人や、しっかり噛んで食べる満足感を大切にしたい人には、合わない場合もあると思う。私自身が、まさにそこを確かめるところにいる。
公式には、妊娠・授乳中の方や乳幼児、小児は摂取を控えること、通院・服薬中は担当医へ相談すること、食物アレルギーがある場合は原材料を確認することも記載されている。試す前に、ここも読んでおきたい。出典:ブルックス公式・注意事項
こうして書いていると、私はずいぶん慎重な買い物をしたように見える。
実際は、気になる味の名前を何度も見返したし、すっきりした服姿も想像した。期待はしている。期待がなければ、わざわざ買わない。
ただ、その期待のために、明日の自分を追い詰める約束までしなくていいと思った。
美穀菜を買って、まず変えてみたくなったのは、夕食のあとにすぐ立ち上がる癖だった。
食べ終えたら、少し座る。画面を閉じる。今日進んだことを、一つだけ思い出す。何かを食べたいなら、何が食べたいのかをちゃんと考える。
そのうえで、美穀菜が私の食生活に無理なく入るか、確かめてみたい。
きれいになりたい気持ちを、私はまだ持っている。そこを「今のままで十分」と急いで片づけるつもりもない。
ただ、変わりたいと思うたび、今の自分に厳しくするところから始めなくてもいいのかもしれない。
続けられるか分からないものを、小さく試す。合わなければ考え直す。普通に夕食を食べる日も、ちゃんと味わう。
そのくらいの余裕があったほうが、私は自分の選んだものを、落ち着いて見られそうだ。
あなたには、食べ終わっても、まだ一日を終わらせたくない夜がありますか。
あの夜、調理台に置いた小皿は、空っぽのまま棚へ戻した。
おやつを我慢できた記念の日にするつもりはない。そのときは、少し座ったら、何も入れなくてもよくなっただけだ。
明日は、あのお皿に好きなものをのせるかもしれない。
冷蔵庫の白い明かりが消える。食卓に戻って、伏せたスマートフォンの隣で、ノートを閉じる。
美穀菜を買った私は、まだ痩せた私ではない。
それでも「また続かなかったら」と買う前から責めていた私よりは、少しだけ、明日の自分に会いやすい気がした。









