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クレカ明細を見直した夜、サブスク依存と固定費の無駄に気づいたひとり暮らしの本音

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クレカのサブスク整理したら自分の依存が見えた話

今朝、カーテンの隙間から入ってきた光がやけに白くて、部屋のホコリまでくっきり見えた。冬の終わりみたいな、でもまだ寒いみたいな空気で、エアコンのリモコンを取る手が遅い。コーヒーを淹れて、湯気をぼーっと眺めて、いつものようにスマホを開いて、指が勝手に家計アプリの通知をタップする。別に大金が動いたわけじゃないのに、数字を見ないと一日が始まらないみたいな癖、たぶん私だけじゃない。

月末が近いと、なんとなく不安になる。貯金がゼロになるわけでも、明日いきなり路頭に迷うわけでもないのに、頭の中のどこかが「先に把握しておけ」って騒ぐ。そういうとき、私は“未来の自分”の機嫌を取るみたいに、クレジットカードの明細を開く。

今日の小さな出来事は、その明細を「サブスクだけ」で並べ替えたこと。しかも、朝の7時台。普通に考えたら早すぎる。だけど私は、出勤前のバタバタの中で“見える不安”をひとつ片づけたくて、歯磨きしながら解約候補にチェックをつけていた。生活って、こういう変な器用さだけは上達する。

1)明細の「自動」を眺めて、ちょっと笑えなかった

サブスクって、申し込んだ瞬間は“自分を助けるもの”に見える。動画、音楽、学習、クラウド、配達、アプリの課金……。どれも「今の私に必要」って顔をして近づいてくる。私もそのたびに「これで生活が整うはず」って、ほんの少し期待する。

でも明細を眺めると、そこにいるのは“必要”というより“習慣”だった。毎月、同じ日に、同じ金額が淡々と引き落とされる。こちらの気分は揺れてるのに、引き落としだけは感情ゼロで正確。なんか、人生の中でいちばんマメなの、サブスクかもしれない。

しかも、私の場合は「使ってるから払ってる」じゃなくて「払ってるから使わなきゃ」になっていた。これ、地味に苦しい。払ってるのに活かせてない自分を、毎月ちょっとずつ責めるシステム。サブスクって便利の顔で、自己嫌悪まで定期便にしてくるんだな…って思った。

「月額◯◯円ならまあいっか」って、何回言ったんだろう。気づけば“まあいっか”が積み重なって、私の中でちゃんとした金額になってた。たぶん、こういう小さな支出って、生活の余白を静かに削っていくんだよね。削られてるのに気づかないくらい、静かに。

2)誰にも言わなかった本音は「決済通知が来ると安心する」だった

ここが今日の主軸。依存って言うと“何かをやめられない”イメージが強かったけど、今日気づいたのは「通知に依存してた」ってことだった。

決済完了、ありがとうございました。たったそれだけの文面が、なぜか私の心を落ち着かせる。忙しい日も、誰とも話さない日も、スマホだけは私の生活を“ちゃんと進んでる”って証明してくれるみたいで。誰かに「おつかれ」って言われる代わりに、アプリが「処理しました」って言ってくれる感じ。…いや、寂しいな、書いてて。

恥ずかしいけど、本音はこうだった——「何も起きないと不安。だから、課金という出来事が欲しかった」。サブスクって、サービスを買ってるというより、生活の“点呼”を買ってるみたいなところがある。毎月の通知が、私に「まだ大丈夫」って言ってくれる気がして、そこに寄りかかってた。

読者のあなたも、通知が鳴らない静かな夜に、妙にソワソワしたことない? **わかる…**って、言ってくれる人が一人でもいたら、ちょっと救われる。

それで今日は、カード明細と一緒に、スマホの「サブスクリプション管理」も開いた。iPhoneの設定、アプリストアの購入履歴、動画配信の契約状況。画面の奥に、過去の私の“心細さ”がいっぱい保存されてるみたいで、なんとなく指が重かった。解約って、手続きの問題というより、過去の自分に「もう大丈夫だよ」って言う作業なのかもしれない。

3)解約ボタンの前で、私が握りしめてたのは“サービス”じゃなく“安心”だった

いざ整理しようと思って、サブスク一覧を紙に書いた。メモアプリだと現実味が薄いから、あえてペンで。月額数百円のものが、何個も何個も並ぶ。合計した金額がどうこうより、私がショックだったのは、そこに“私の逃げ道”が写っていたこと。

・眠れない夜は、音楽アプリ
・人と比べて落ち込んだ日は、動画の連続再生
・仕事で自信がなくなった日は、自己啓発系の学習サブスク
・孤独を感じた日は、誰かの配信や、荷物が届くサービス
・やる気が出ない日は、タスク管理アプリの課金で“できる私”を買う

書き出すと、ちょっと笑えないくらい“感情の対処”が課金になってた。依存って、派手なものじゃなくて、毎日の「まあいっか」の積み重ねなのかもしれない。というか私、現実の手当てじゃなくて、気分の応急処置を買いすぎてる。

解約ボタンを押す直前、頭の中に浮かんだのは「これがなくなったら、今夜どうやって落ち着く?」だった。サービスの機能じゃなくて、自分の不安を落ち着かせる儀式を手放す怖さ。ああ、私、生活じゃなくて心の穴をサブスクで埋めてたんだな…って。

後半の小さな気づきは、ここ。整理って、節約より先に「自分の寂しさの形」を見せてくる。別に全部をやめる必要なんてないけど、少なくとも私は、課金で感情を黙らせるクセがあるってことだけは、今日ちゃんと認めた。

そして、試しに一つだけ解約した。いちばん“惰性”っぽいやつ。解約完了の画面を閉じた瞬間、胸の奥がスン…と冷える感じがして、私はなぜかコンビニに寄って、温かいお茶と小さめのヨーグルトを買った。意味わかんないでしょ。でも、そのときの私は「今夜の私をちゃんと世話する」っていう別の安心が欲しかったんだと思う。通知じゃなくて、手の温度で落ち着きたかった。

帰宅して、部屋の電気をつけたとき、ふと気づいた。私が欲しかったのは“サービスがある生活”じゃなくて、“私が私を放置しない生活”だったんだなって。サブスクは便利だけど、便利のせいで、自分の面倒を見る作業を外注しすぎることがある。外注してる間はラクだけど、ある日まとめて請求されるみたいに、心の空白だけが残る瞬間がある。

締めに、ひとつだけ問いかけを残して終わるね。
あなたが“やめられない”ものって、実はその中身じゃなくて、そこからもらってる安心のほうだったりしない?


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